2014年9月11日木曜日


吉野の杉

奈良の吉野には室町時代から続く、500年にわたる植林の歴史があります。
しかもそれは民有林なのです。このような例は日本では他に有りません。
いや世界を見てもおそらくここだけでしょう。

吉野には山守制度があり、山持ちは山守に木を管理させます。山守は代々受け継がれ、多くの下職人を使って木を育てるのです。
植林はこの地方独特の密植式で他の地方の3倍もの密度で植え、丁寧な世話を通して、緻密で同じ幅の年輪をもった丈夫な木を育ててきました。
杉は日本の固有種です。吉野杉は淡い薄紅色の端正な表情で、経年変化が少なく、他地方の杉に比べ、しなやかで強靭な特徴を持っています。杉の生育に適した雨の多い気候や、土壌。それに加えて山守が情熱を傾けた結果がこの美しく強い杉を生み出したのです。

山守は自ら育てた木の出来栄えを見る事は無く、
ひたすら先人に恥じる事の無い仕事をつうじてのみ山とかかわる事ができるのです。

川上村にある300年の森。
機会があればぜひ足を運んでほしい。そこは その森は、
直径1メートル余の巨木が整然と並ぶ静謐な気の満ちた、
特別な場所なのです。
人が自然に寄り添ってなしてきた行為に 私は言葉をのみ、立ちすくみました。

目の前の結果しか興味が無いと思っていた日本人が300年の未来を見ていた。
シンと静まった美しい森は、
しみじみと誇らしい喜びに満ちた衝撃でした。
日本人であることが嬉しかった。

今、この吉野の杉を使って家具を作るプロジェクトが始まろうとしています。
下市町で鉋を使う技術者集団を作り、吉野の森や刃物の伝統を交えて
家具や建具やインテリアの様々を世に出す。

そしてその行為がこの森や鉄の文化を守る一助になれば、、、
私が思い描く自然と共存していく未来は、この小さな一歩から始まります。

2014年4月8日火曜日

タタラという火山

明治になるまで、日本人は砂鉄から鉄製品を作っていた。
炭を使って砂鉄を溶かし、ケラとよばれる鉄の塊から 鋼や鋳物をより分け
刀や釘など様々な物に加工する。

私が使っている玉鋼の鉋も大原氏が千種川の砂鉄から作ったものだ。

砂鉄はタタラとよばれる溶鉱炉で溶かすのだが、
実際を見てみたい思いにかられ、大原氏に頼みこんで冬の数日タタラ作りに挑戦してみた。

氏は何もわかっていない我々に辛抱強く丁寧にタタラのイロハを教え、
作り方を指導し、形にした。
以下は作り上げ、燃えるタタラ。

地球の芯から浮かび上がり、マントルに混じって地表へ湧き出した鉄は
花こう岩の風化によって砂鉄となって人とかかわってきた。

炭を燃やし、風を送りこみ、タタラの底は白い炎となって真砂土の壁を溶かしてゆく。
この土も そう砂鉄を抱いて地上にふき出したその土なのだ。
上から注がれた砂鉄は 熔けながら下りてゆき、底部のオレンジ色のガラスに吸い込まれる。
重い鉄は下に集まり、空気を遮断した還元の炎の中で鉄として固まるのです。

 燃えあがるタタラを見て気付いた。これは火山だ。

 地球の核から噴き出した鉄を人は火山を作って元に戻し、
そこから必要な物を取り出すことを考えた。

 何と原始的で、力強い営みであろう。

 世界が火と土と風と水と空でできているなら、このすべてを駆使して、

 人は鉄という素晴らしくも禍々しいものを手に入れたのだ。






2013年3月10日日曜日

工房の隣に村の薬師堂がある。それからは人家のない森が続いていて、
犬の散歩コースになっている。
途中、林に囲まれた池があったりして、細い道をたどると
村で一番標高の高い愛宕山の祠に至る。
山と言ってもちょっとした丘で、見晴らしがいいわけでもないそのてっぺんに、自然石の土台の上に小さな祠がある。
春になると金蘭が咲いていたり、思わぬ所でササユリを見つけたり、湿った沢にサンショウウオの仲間が住んでいたり、何よりもちょっと湿った森の中の空気がザワッとした不安感を伴って、包みこんで来る。典型的な人が入らなくなった里山なのだ。

薬師堂と愛宕さん、言わば村の守り神なのだが、この山に順番に欅を植えて、
百年後には欅の森にして、その木で椅子を作る。ここで取れる木だけを使い、それ以上の量は作らない。 百年プロジェクトを今年から始めます。
まず二十本。 欅の苗は育っている。

鉋仕上げは木を大切に扱う事を教えてくれた。祈りを持って木を植えようと思う。

2013年3月8日金曜日

kanna-finishの椅子展を始めて三年目に入った。今回は東京での初めての展示会。
タイトルはやはり“創造する椅子展”。
 改めて「鉋仕上げ」って何なのだろうと問いかけてみる。
うーんやっぱり木が心底好きなのかな と思う。
この木の顔を見ていると、いろんな問題が氷解するように思えてくる。
以下はDMの為に書いた文章なのですが、まあこの通りです。

椅子を創る

自由な形から様々な表現が可能な椅子はインテリアの中で独特な存在感を示している。
私が椅子に興味を持ったのは、多くの木工家と同じであったと思う。
しかし誰もが始めるデザインからのアプローチは、やはり行き詰まるのも早かった。
工芸家の椅子はおもしろくない。
デザイナーの椅子は軽薄だ。
この解決策はなかなか見つからなかった。

平成二十年、鍛冶師大原氏との出会いが無ければ、新しい椅子は生まれなかったに違いないと思う。
彼が持ってきた鉋は、それまでの物とは明らかに違っていた。
自ら採取した砂鉄から玉鋼を作り、打ち鍛えた鉋はそれは見事な切れ味を見せたのだ。

この鉋で椅子ができる。

私はその時、天啓を感じた。
木の見せる表情が違っていた。
その手触りや輝きが、おまえは今まで木を単に材料として見ていた と気づかせてくれた。
こういうことだったのか。
大切でとてつもなく大きな世界が、薄い一枚のカンナくずの下にある事に思い至った。
私は“木”を相手にしているのだ。
それは唯 自らの造形のための素材ではなく、 共に生きる自然の真の相棒なのだ。

いつも何かしら「違うな」と、小さな引っ掛かりを感じながら作業していたその答えは、毎日切ったり削ったりしている ここにあった。そして常にあった。

何から形を発想するのか、何が人を惹きつけるのか、ディテールの美しさはどうすれば表現できるのか。
一つ一つのテーマが同じ根っこから出ている。
鉋で仕上げるという技術が引き金となり、木の本来の美しさが多くの困難に解決の糸口を与えてくれた。

そして、私は椅子を創る


2012年11月14日水曜日

奈良の展示が終わった。

多くの人に、知らない多くの人に見て頂き、
自分たちがやっている事の意味や努力に対し、
少しの拍手と、エールを頂いたような気がした。
ありがとう。  不思議だよね。
相変わらず明日が見えないのはそうで、
どうやって皆が食べていけるようにしようかレベルの日常が
こうなればいいなあ という希望が、
ほんの少しの言葉を得て変わっていく。


日本の木の仕事を世界のトップにしよう。 私が考えている
この目標(大風呂敷でも何でもないのです)に、小さな工房の6人が
向かっている。一度に多くの事は出来ない。
いつもそこにある不安や、あきらめの道標に、ひょっこり差し入れの水を得た。
よし!また走り始めよう。
みんなに、色んな事に、ほんとうに、 ありがとう。

2012年11月5日月曜日

いよいよ明日から椅子展が始まる。

長い準備期間の結果を並べ、皆の批評を仰ごう。
若い弟子たちの未来と、取り組んでいる工芸の行く先を占ってもらおう。

買ってもらうことも大事だが、一番は私たちのやっている事が
何か少しでも人の琴線に触れ、作り手と価値の共有が出来得るものとして、
受け止められるだろうか。

いつもそうなのです。作品発表は言わば裸で立っている様なものだ。
さまざまな人の視線や意見にまったく無防備で、それだからこそ一言一言が良く効く。

どっちにしても、今の力を余すことなく見せている。
もうちょっと小出しにすればいいのに。 と、我ながら小物だと思うのだが、
これも性分で仕方がない。

龍村織物とのコラボ。 出していた張り地が今日仕上がってきた。いい出来だ。
飛鳥と名付けた布はゆったりと明るく、椅子の曲線にそって動いている。

高知の鹿敷製紙に協力いただいた “雁皮紙の椅子”。
紙の王と呼ばれる日本産雁皮紙を紐により、子椅子に編み上げてみた。
紬のような表情でつやのあるオフホワイト。 ほっそりした少女がセーターを着ている。
愛らしく、美しい椅子だ。

そして“黒柿の椅子”。

うーん。 日本中の人に見に来てほしい。   裸の我々を。

2012年11月4日日曜日

わが師 竹内碧外は骨董に秀でていた。
ありとあらゆるジャンルのものが、それも一級のものが
押し入れにあふれていた。 硯の鑑定では日本の第一人者。

弟子に入ってすぐに 毎日昼食の後は、
博物館でしか見れない品々の鑑賞会だった。

何が何だか分からない時期に、超一流の物を毎日見せられ、
手で触れるという  これはおそらくもう二度とできない経験だろう。

時々道具屋が訪れる。
ふろしきから額を取り出し、上目遣いに  “頼山陽のもんです。”
そう言うとじっと先生の言葉を待っている。

先生はちらっと額を見ると、おもむろにキセルにたばこを詰め、
火鉢に顔を近づけて一服すると、“よろしおすな” 気のない声で言う。
すると道具屋は “あきまへんか” と答え、そそくさと風呂敷に仕舞う。

それは不思議な儀式のように流れる   先生、骨董の世界では “よろしい” とは
ダメということなのですか。 と聞くと、 まあそういうこっちゃ。
どうして一瞥して、真贋がわかるのですか。

あのなあ、ええもん、美しいもんは いつの時代もいっしょや。
そこを見る目えは、養える。 いくつもいくつも真剣に見て、
最後はこうて、自分のもんにする。  そうしたら自然にわかる。

真理はある。これは変わらん。 腹に入れるこっちゃ。

常に厳しく、ぶれる事のない美意識を持った、この人物に出会うために
私は木工の道に入った。   本気でそう今でも思う。